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目次
はじめに。
土佐の戦国大名と言えば、四国統一を果たしたと言われている、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)。
長宗我部元親はNHKの大河ドラマにしてほしい戦国武将のアンケートで1位だそうです。
しかし・・
現在のところ、大河ドラマ化の話は出ていません。
長宗我部元親が大河ドラマ化されていない理由とは?
考えられる原因は3つあります。
1つ目は・・
2006年に「功名が辻」という山之内一豊の妻である千代を主人公とした大河ドラマが放送され・・
2010年には「龍馬伝」という坂本龍馬が主人公の大河ドラマが放送されました。
つまり・・
近年に高知県関係の偉人を主人公とした大河ドラマが2つも放送されていることです。
2つ目は・・
四国が舞台になりますので、織田信長や徳川家康と言った戦国を舞台とした時代劇には必ず登場する人気大名との絡みが、ほとんど無いのです。
豊臣秀吉とならば、わりと絡みがあるのですが。
3つ目は・・
長宗我部元親は戦国を舞台とした時代劇で一番、盛り上がる関ヶ原の戦いの前に亡くなっていることです。
しかし、実は長宗我部元親は大変に謎めいた戦国大名なのです。
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長宗我部元親の謎。
近年、日本史学者の中で実は長宗我部元親は織田信長等、有名な戦国大名と接点があったのでは?という説が浮上しています。
本能寺の変の黒幕は長宗我部元親だった?
近年、戦国最大の謎である事件の「本能寺の変」に長宗我部元親が関わっていたという有力な説が出て来たのです。
長宗我部元親は織田信長に対して四国の支配を認めてもらう事を条件に同盟を結んでいました。。
しかし・・
長宗我部元親が四国統一を果たすと信長は約束をひっくり返して「土佐と阿波(四国の半分)」の支配しか認めない事としたのです。
これに対して長宗我部元親は激怒したそう。
当初、織田家の長宗我部家の同盟を仲立ちしたのは明智光秀だったので光秀としても顔に泥を塗られた事になったでしょう。
ですので・・
これがきっかけで本能寺の変が実行されたのではないかとの説があるのです。
実際に本能寺の変の直前に元親が明智側にあてた書状が近年、発見されたそうです。
この説に基づけば、織田信長と長宗我部元親の関係を描く事が出来ます。
そうなれば、徳川家康を登場させる事も出来るでしょう。
長宗我部家と伊達家の繋がり
大河ドラマで初めて地方の戦国大名が主役になったのは・・
仙台の大名である伊達政宗(だてまさむね)だそうです。
「独眼竜政宗」というタイトルで1987年に放送されました。
独眼竜政宗の平均視聴率は未だに歴代の大河ドラマの中でトップです。
さて・・
一見、東北の仙台と四国の高知という遠く離れた地域であり、
有名な大名と言えども、何の接点も無さそうな2人ですが・・
実は、伊達家と長宗我部家には歴史好きには大変に興味深い逸話があるのです。
長宗我部元親の死後、家督を継いだ、元親の四男である長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)は関ヶ原の合戦で豊臣方の西軍に属します。
そして、伊達政宗は徳川方の東軍に属します。
西軍が敗れ・・
長宗我部家の直系は全員、処刑されてしまいました。
しかし・・
長宗我部元親には阿古姫(あこひめ)という娘がいました。
阿古姫は大坂城が陥落した時に息子2人と共に伊達政宗の兵に捕らえられますが・・
なぜか、政宗に気に入られ、命を助けられて、息子2人と共に仙台の城に迎え入れられたのです。
後に・・
阿古姫の次男である、輪丸(りんまる)は柴田朝意(しばたとももと)と名乗り、仙台藩の重臣となったそうです。
つまり・・
長宗我部元親の血は江戸時代以降も仙台で引き継がれ活躍していたと言うことです。
とても、歴史ロマンの溢れる話ですね。
長宗我部元親の大河ドラマ化の可能性は?
上記の説に基づけば、大変に面白い大河ドラマを作ることが出来るのでは?
と考えられます。
たしかに、長宗我部元親は関ケ原の戦いの前に亡くなってしまいますが・・
しかし・・
長宗我部元親だけを主人公とするのではなく、
関ヶ原の戦いに参戦した息子の盛親にも焦点を当てた、長宗我部家の物語であれば、大河ドラマ化の可能性があるのでは?
と言う話を聞いたことがあります。
さらに・・
大河ドラマの原作の作品を沢山を書いている作家、司馬遼太郎の作品の中に「夏草の賦(なつくさのふ)」という長宗我部元親を主人公とした作品があるのです。
結論は・・
長宗我部元親を描いた大河ドラマが作られる可能性は十分にあると言えるでしょう。
最後に。
長宗我部元親の大河ドラマ化はいつになるのか?
それは・・残念ながら、わかりません。
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