南国市ごめん町の名前の由来。あやまっているわけではない。

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はじめに。


高知県の南国市には「後免町(ごめんちょう)」という、珍しい地名があります。

県民や市民の間では「ごめん」と呼ばれている場所であり、まるで謝っているように聞こえますが・・

もちろん、謝っているわけではありません。

後免町とは?


後免町は県庁所在地である高知市の東隣に位置する南国市にある地名です。

後免町にある後免駅は南国市の玄関口的な存在で、後免町も南国市のメイン街的な場所。

高知市近辺を走る路面電車の東側終着点でもありまして、後免駅へ向かう路面電車は「ごめん」と表記される事から、まるで、電車が謝っているみたいと話題になった事も何度か。

また・・

後免駅にはアンパンマンの作者である、やなせたかし氏デザインの「ごめん・えきお君」というイメージキャラクターが作られています。

さらに・・

後免駅から東側の奈半利駅(なはりえき)までを結ぶ路線は「ごめん・なはり線」という愛称で親しまれてます。

近年は名前にちなんだ「ごめんな祭(ごめんなさい)」という謝罪のイベントも毎年、開催されていて「ごめん」という地名を南国市や高知県が積極的にPRしています。


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後免町の由来と歴史。


後免町という地名が生まれたのは江戸時代だそうです。

きっかけとなった人物は土佐二代目藩主である山内忠義(やまうちただよし)の甥である野中兼山(のなかけんざん)。

兼山は当時、財政難であった土佐藩の改革をlの為に各地域の用水路を開いたり、新田開発を行い、また、木材の専売化など、産業発展に尽力を尽くしました。

その開発地域の中に現在の後免町が含まれていたのです。

開拓地に移住して来た者には非課税や労役の免除などの特権を与えた事から、「租税が免除される地」という意味で「御免」という地名が生まれたのだそうです。

そして・・

御免が転じて、のちに「後免町」となったとの事。

後免町は1959年9月までは長岡郡後免町という単独の自治体でした。

1959年10月に後免町、香長村、野田村、岡豊村、香美郡岩村が合併して南国市が発足したのだそうです。

最後に。


後免町のある南国市は人口4万9千人弱ながら、高知県では高知市に次いで2番目に人口の多い第2都市です。(高知市の人口は約33万人。)

ちなみに南国市は第2都市としては全国で最も人口の少ない市だそうです。

また・・

新潟県新発田市、福島県二本松市にも「御免町」という地名があるのだそうです。


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*参考文献

高知の「地理・地名・地図」の謎(実業之日本社)より。

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