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はじめに。
高知市の中心街より西側に位置する土佐道路付近に鴨部(かもべ)という場所があります。
その鴨部には「紅葉橋(もみじばし)」という地元の人なら、よく知っているであろう橋があります。
住宅街付近にあり、一見、何でもない場所にある橋ではあるのですが・・
実は歴史を調べると紅葉橋の場所は名前からは想像出来ないような怖い場所でもあるのです。
紅葉橋とは?
紅葉橋があるのは高知市鴨部にある西部中学校の北側です。
土佐道路から北側に移動する途中に通る橋であり、土佐道路と閑静な住宅地を結ぶ場所になっています。
橋の下には鏡川が流れていて緑地があります。
紅葉橋は明治2年にかけられたらしく、実は大変に歴史のある橋です。
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紅葉橋はなぜ怖い場所なのか?
紅葉橋は昔、「雁切橋(がんきりばし)」と呼ばれていたそうです。
実は・・
幕末まで紅葉橋の場所は処刑場だったのです。
そう・・
この場所は江戸時代に罪人が首切られて、さらし首にされていた場所。
歴史上の有名人であれば、幕末には土佐勤王党の岡田以蔵が打ち首をされて、さらし首とされた場所でもあるようです。
また・・
土佐勤王党に暗殺された、吉田東洋の首も土佐勤王党によって、ここに運ばれて、さらし首とされたそうです。
雁切橋の雁(がん)は首や頭を意味しているとも言われていたりしているとか。
ただし・・
江戸時代にこの場所には橋はかかっていなかったらしく、この場所は雁切川原(がんきりかわら)と呼ばれていたのだそうです。その場所に明治時代に橋がかけられたので、雁切橋と呼ばれるようになったのでしょう。
昔からこの辺りに住んでいる人達には、よく知られている事であり、地元では今でも雁切橋と呼ぶ人もいるようです。
紅葉橋と呼ばれるようになったのは、いつからなのかはわかりませんが・・
近くには住宅街や学校もある場所ですので処刑場というイメージを払拭する為に付けられたのかもしれません。
しかし・・
紅葉橋付近は土佐の歴史を語る上では興味深い場所でもありますよね。
最後に。
私は中学から高校2年生までの間、この紅葉橋から近い場所に住んでいましたので、たまに通る事がありました。
江戸時代に処刑場だったと言う事も地元の友達の後で知れていて、不謹慎ながら、ちょっとした心霊スポットのような場所でもありました。
近くには中学校もありますので、そちらの中学校でお馴染みの学校の怖い七不思議の一つとして噂されていたりもしたようです。
もちろん、現在は全く怖い場所ではありません。
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コンクリート橋に変わる昭和47年までは木製の橋で雁切り橋と呼ばれてました。私は云われから顔切り橋の文字かと思っておりました。昭和44年頃までは大へん気味の悪い場所で西部中学の北西の塀辺りからはススキが生い茂り橋や周りが見えず首切りやさらし首の場所のいわれから、子供の頃は薄気味悪い場所でした。昭和48年には橋が今のコンクリート製に変わり紅葉橋と変わりましたが辺りには紅葉も無く名前の謂れは分かりません。
車も渡る事が出来ない古い木製の橋とススキ原が相まって夕方や夜はとても気味の悪い橋の思い出です。
>谷 章司 様へ
そうだったのですか。
昭和40年代までは今とは、かなり違った雰囲気の場所だったのですね。とても興味深いです。
大変に貴重な情報をありがとうございます。