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はじめに。
2020年度の大河ドラマとして放送されていた「麒麟がくる」が2月7日に最終回を迎えました。
最終話では「本能寺の変」をメインとして描き、ラストシーンでは主人公である明智光秀が「山崎の戦い」の後も生き延びているかのような描写があるなど、大変に多くの謎を残したまままの終わり方となりました。
また・・
麒麟は来たのか?来なかったのか?
麒麟とは何の事だったのか?
など、ネット上でも様々な考察が増えて、話題となっています。
「麒麟がくる」の麒麟とは明智光秀の事だったのか?
明智光秀は「本能寺の変」の後、秀吉軍と戦った「山崎の戦い」で敗戦し、逃走中に落武者狩りに襲われて、最期を迎えたとされているのが通説です。
しかし・・
実は落武者狩り襲われて命を落としたのは光秀の影武者で、光秀自身はその後も生き延びていたのではないか?とされる説もあるようです。
有名なのは、「天海=明智光秀説」です。
Wikipediaにも載ってますね
↓
*天海=明智光秀説 – Wikipedia
徳川家康の側近として江戸幕府発展に尽力したとされる「南光坊 天海」は明智光秀と同一人物ではないかと言われている歴史ミステリーです。
「麒麟がくる」の中でも、家康が光秀から国作りについての助言を求めるシーンがあり、それは、この説を匂わせる演出だったのではないかとも思えます。
また・・
天海は僧侶でありながら、鎧があり、その兜の部分には「麒麟」がいたとの事。
↓
一応終わったから書いておくが…
「実は正体が明智光秀」という俗説のある南光坊天海(慈眼大師)は、僧侶でありながら甲冑が残っていて、なんとその兜は「麒麟前立付兜」。名の通り、兜の前立に麒麟がいる。
今回、#麒麟がくる の最後が生存ルートで描かれたのは、これを強烈に意識してのことだろう。 pic.twitter.com/biSmDBAKc5
— 谷津 珠葉(李厳命) (@Rigenmei) February 7, 2021
つまり、この説から推測すると・・
後に光秀は家康と戦の無い平和な世の中を作る事に尽力した。すなわち「麒麟」とは光秀自身の事であった。
という解釈になりますね。
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「麒麟がくる」の麒麟とは坂本龍馬の事だった?
明智光秀にまつわる歴史ミステリーについては「天海=明智光秀説」以外にもあり、もう一つ有名なのが・・
「坂本龍馬は明智光秀の子孫だった?」という説です。
坂本龍馬といえば四国の土佐出身ですが・・
実は坂本家の家紋は明智家と同じ桔梗紋です。
さらに、坂本姓の由来は明智光秀が城主であった坂本城なのではないか?とも・・
また、光秀は当時、土佐の国を治めていた「長宗我部元親」と交流が深かったとか?
真相は不明ですが、長年に渡り坂本龍馬の研究をしている「坂本龍馬記念館」も、この説を否定はしていないようです。
↓
*坂本家について(高知県立坂本龍馬記念館)
そして・・
キリンビールのロゴマークである「麒麟」は坂本龍馬をイメージしたものではないか?という説も存在します。
キリンビールの「麒麟」は「龍の頭」と「馬の体」を合わせた生き物のようにも見えるので、龍馬の名前が由来なのではないかと?
キリンビールの誕生には坂本龍馬と親交のあった、岩崎弥太郎とトーマス・グラバーの2人が大きく関わっていた事からも、龍馬をイメージして作ったロゴマークなのではないかと言われているようです。
つまり、この2つの説から推測すると・・
明智光秀の血筋は江戸時代から明治維新まで引き継がれ、坂本龍馬という麒麟を誕生させた。
という風な解釈も出来るような気がします。
最後に。
「麒麟がくる」の最終話では「本能寺の変」がメインで「山崎の戦い」の描写は一瞬で終わった事に残念な声もあるようですが・・
実はオープニングのシーンが「山崎の戦い」を描いていて、最終話からその後のシーンは毎週、流れていたという事なのでは?
という考察がネット上で話題になっています。
個人的にですが、この説はかなり信憑性が高い気がしています。
*キリンビールのロゴマークは坂本龍馬をイメージしたものなのか?
*「麒麟がくる」に長宗我部元親は登場するのか?
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