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はじめに。
私は高知市内の私立高校でマジックの授業をしています。
授業では、マジックの歴史について話すことがあり・・
そこで話す日本のマジックの歴史についてを記事にまとめます。
世界的にはマジックの起源は紀元前にまで遡ります。
では・・
日本ではいつからマジックが演じられていたのでしょうか?
日本におけるマジックの起源。
日本ではいつから、マジックが演じられていたのか?
正解は・・
奈良時代
です。
現代から約1300年前だそうです。
その時代に中国より「散楽(さんがく)」として日本へ伝わったそうです。
散楽とは狂言や能などの起源でもあり・・
日本においてマジックは元々、そういった伝統芸能と同じ源流を持つんですね。
江戸時代になるとマジックは「手妻(てづま)」と呼ばれてエンターティメントとして盛んに演じられていたそうです。
しかし・・
日本のマジックというのは現代のような鳩が出たりトランプを使ったりというような洋装で演じるマジックではありませんでした。
有名なのは水芸(みずげい)と言われる扇子の先やおちょこ等から噴水のように水が溢れ出るマジックや・・
胡蝶の舞(こちょうのまい)と言われる、紙で作った蝶々が扇子で仰ぐと生きているかのように空中を舞うマジック等です。
それらのマジックは今でも「和妻」と呼ばれて、継承されているマジシャンの方々によって演じられています。
日本における近代マジックの起源。
現代のようなマジックは日本では、いつ頃から演じられていたのでしょうか?
正解は・・
明治時代
です。
明治時代に・・
「日本近代奇術の祖」と今でも日本のマジック界に語り継がれる、スーパーマジシャンが現れました。
それは・・
「松旭斎天一(しょうきょくさいてんいち)」
という名前のマジシャンです。
松旭斎天一氏は当時では珍しかった西洋のマジックを外国人のマジシャンから学び・・
「天一一座」を旗揚げして、日本だけでなく海外でも大活躍したマジシャンです。
日本のマジック界に大きな革命をもたらしました。
*松旭斎天一一座のポスター(明治41年1月新富座公演分) パブリックドメイン ウィキメディアコモンズより
松旭斎天一氏の孫弟子の弟子にあたるような方々が現在でも第一線で活躍しています。
さて・・
その偉大なマジシャン、松旭斎天一氏は福井県出身なのですが、
若い頃に・・
なんと!
高知県を拠点としたマジシャンとして活躍していたそうです。
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松旭斎天一氏と高知県の繋がり。
松旭斎天一氏は若かりし10代の頃に高知県を拠点に活躍していました。
高知市より東部にある地域、赤岡町で自らの劇場を立ち上げると、連日満員の大人気マジシャンとなっていたそうです。
その頃の松旭斎天一氏の十八番の芸は・・
刀の刃の上に足を乗せて歩いて見せるというもの。
この芸が大評判となり・・
「土佐の剣渡りの太夫(たゆう)」
と呼ばれていたそうです。
*太夫とは「上級」「格式が高い」等の意味。
しかし・・
この刀の上を歩く芸はマジックというよりはサーカス芸に近いものでした。
なので・・
特にタネ仕掛けといったものはありません。
なぜ、刀の上を歩けたのか?
刀は包丁と同じで押して引くことによって切れるのです。
なので・・
押す力だけではものを切ることは出来ません。
つまり・・
松旭斎天一氏は刀の刃の真上から足を真っ直ぐ降ろして、決して引く力を加えずに歩いたのです。
もちろん・・
少しでも失敗したら大けがをするかもしれないですので、とても危険な芸ですよね。
この事実については、藤山新太郎氏著「天一一代: 明治のスーパーマジシャン」の中で詳しく書かれています。
最後に。
偉大なマジシャンである松旭斎天一氏が高知を拠点に活躍していたとうエピソードは高知県はもちろん、おそらく赤岡町でさえ、今では、まったく知られていません。
私が知ったのも3年ほど前です(笑)
高知のマジシャンとしては、少しでも多くの人に知ってもらいたいところです。
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*アイキャッチ画像・出典元:フリー写真素材 フォトック