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目次
はじめに。
私は高知市でマジックバー手品家高知店を営みながら、長年、高知を拠点にプロマジシャンとしての活動をしています。
これまで、長年、高知でマジック愛好家として活動している先輩方とも交流をして、高知県のマジックの歴史についての話も聞いてきました。
そして・・
高知県から現在、第一線で活躍しているプロマジシャンが沢山、全国に輩出されています。
平成が終わり令和という新しい時代を迎えた、この時期だからこそ、高知のプロマジシャンとして、高知県のマジックに関する文化史を記事にしておこうと思います。
高知県のマジックの歴史。
高知県でマジックがブームになったのは、私が知っている限りで最も古いものは明治時代の初期です。
後に「日本近代奇術の祖」となる松旭斎天一(しょうきょくさいてんいち)氏が、若かりし10代の頃に赤岡町で自らの劇場を立ち上げると、連日満員の大人気マジシャンとなっていたそうです。
当時の松旭斎天一氏は「土佐の剣渡りの太夫(たゆう)」と呼ばれて、高知の城下町で大スターのような人気ぶりだったとの事。
それらについて詳しくは、以前に書いた記事である・・
日本のマジックの歴史。そのルーツが高知県にあった!?
↑
こちらで、詳しく書いています。
では・・
時代が一気にさかのぼり私が生まれた時代である、1970年代からの高知のマジック文化史について、話していこうと思います。
1970年代~80年代の高知県のマジック文化史。
1970年代(昭和45年~54年)に高知県にプロマジシャンがいたという情報は私が知っている限りではありません。
しかし・・
この時代、高知市に、とても熱心に活動しているアマチュアマジシャンの方々がいたそうです。
当時の高知市は街に沢山の映画館があり、映画は市民にとって、身近な娯楽でした。
映画の上映前の前座として、地元のマジシャンがステージマジックを披露することなどもあったそうです。
そして・・
この時代付近に高知に「高知奇術クラブ」というアマチュアマジッククラブが誕生します。
また・・
高知市にアンクル(UNCLE)という高知のマジックバー1号店と言われるお店が誕生します。
(*店主自身はマジックバーでは無いと言っていました。)
アンクルのマスターはカードやコインなどを使ったクロースアップマジックを得意としていました。
また・・
お店は高知のマジック愛好家の集いの場ともなっていたそうです。
1980年代(昭和55年~平成元年)頃になり、日本全国で超魔術ブームとなります。
連日、テレビでミスター・マリック氏の超魔術が放送されていた時代。
アンクルはテレビと同じ超魔術が見れるお店として、高知県内で話題となって大盛況だったそうです。
また・・
当時はバブル全盛期が近づいてきて、高知の夜の街も連日の人混みだったようで。
アンクルのお店の存在が、後に高知のマジック文化を発展させる、きっかけとなった事は間違いないでしょう。
1990年代(平成2年~11年)の高知のマジック文化史。
この時代に高知市旭町にあったニチイ(現在はイオン旭町店)というショッピングセンターの玩具売り場にマジック道具を販売するディーラーがいたそうです。
ディーラーの方は、その後、高知市朝倉にあった「おもちゃのバンバン」へ移り、マジック道具を販売していました。
そして・・
高知大学のすぐ東隣にマジックショップもオープンします。オープンした方は別のディーラーです。
しかし・・
残念な事に、こちらのマジックショップは半年ほどで閉店。
それ以前に高知大丸の玩具売り場に女性のディーラーがいたという情報がありますが、それについての詳細はわかりません。
この時代に高知のマジック文化は大きな起点がやってきます。
高知県初のプロマジシャンが誕生します。
高知のプロマジシャン1号と言われているのは・・
ジュン&アケミさん。
夫婦コンビで現在も精力的に活動している方です。
また・・
本格マジックバーである「マジックバー・ジョーカー」が高知市帯屋町にオープンします。
店主はプロマジシャンとしても活動したベンジャミンUWANO氏。
ベンジャミンUWANO氏は高知に新しいマジッククラブである「高知奇術研究会」を立ち上げます。
そして・・
世界的な有名マジシャン、マーカ・テンドー氏が来高し、高知のマジック愛好家達と交流を深めたそうです。
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2000年代(平成12年~21年)の高知のマジック文化史。
この時代から高知のマジック文化は大きく発展します。
マジックバー・ジョーカーの店主であり、プロマジシャンとして活動していたベンジャミンUWANO氏に当時10代の大学生が弟子入りを志願します。
その人物が、現在、全国展開している「マジックバー手品家」の代表であるトリット氏です。
トリット氏はその後、すぐに高知大学奇術同好会を立ち上げます。後に高知大学奇術部となります。
さらに・・
トリット氏は大学卒業後に教師をしていた高知私立中央高校でも奇術部を立ち上げます。
高知大学奇術部と高知中央高校奇術部からは現在、第一線で活躍しているプロマジシャンを多数、輩出しています。
そして・・
トリット氏はマジック会のオリンピックと言われるFISMに2003年と2006年に2大会連続出場を果たしました。
当時、高知の地元のニュースや新聞でも大きく取り上げられました。
そして・・
2007年には高知中央高校奇術部部員で現役の高校生だった西村峰龍氏がラスベガスで開催されたワールドマジックセミナーのジュニア部門でグランプリを受賞。
こちらも、地元のニュースや新聞で大きく取り上げられました。
峰龍氏は現在、東京を拠点にプロマジシャンして活動中。
高知のマジック文化が大きく発展し盛り上がった時代でした。
高知市内にはマジックバーが3店舗以上あり、マジックの見られる居酒屋まであったりしました。
また・・
朝倉に高知大学奇術部出身者がマジックショップを再び開店したりもしました。
しかし・・
2008年にベンジャミンUWANO氏が他界します。
ベンジャミンUWANO氏の他界により、高知のマジックの拠点的存在であった、「マジックバー・ジョーカー」は閉店。
その意思を受け継ぐ意味で・・
「マジックバー 手品家高知店」が誕生します。
2010年以降の高知のマジック文化史。
高知のマジックバー1号店であるアンクルのマスターも数年前に病気で他界しました。
現在、高知県内にマジックバーは手品家高知店のみとなりました。
しかし・・
先人たちの築いた財産により、高知のマジック文化は現在も精力的に活動出来ています。
四国の大学奇術部として代表的な存在となった高知大学奇術部。
全国的にも珍しい高校生の本格マジッククラブである高知中央高校奇術部。
また・・
高知で長い歴史となった高知奇術クラブも定期的に発表会などを開催しています。
ちなみに・・
現在は帯屋町アーケードでストリートマジックを披露している若手マジシャンも増えています。
よく、見かけるのが水晶玉のような透明のボールを使った「コンタクトジャグリング」というパフォーマンス。
コンタクトジャグリングを帯屋町アーケードで披露した先駆けはサスケ氏と記憶しています。
サスケ氏は、かつて「マジックバー・ジョーカー」のレギュラーマジシャンでした。
現在は関西などで活動する有名なマジシャンでありパフォーマーとなっています。
最後に。
高知県はマジック文化がとても盛んな事を、少しでも多くに人に知っていただけたら幸いです。
また・・
2020年以降、ますます高知県のマジック文化が発展して行くように微力ながら尽力していく所存であります。
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「高知県のマジシャン文化史。実は高知はマジック王国。」への1件のフィードバック